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第4回 大石泰「ベートーヴェンから浪花節まで」

更新日:2021年1月6日


 「ベートーヴェンから浪花節まで」…これは私がテレビ朝日に在籍中、14年にわたって携わったテレビ番組「題名のない音楽会」の当時のキャッチフレーズです。「題名のない音楽会」は1964(昭和39)年、アジアで初めて開催された東京オリンピックの年に放送が開始された音楽番組です。この番組で初代司会を務めたのが作曲家の黛敏郎(1929~1997)で、彼は司会者ばかりでなく番組の企画者でもありました。黛さんは1997年に亡くなるまで司会を務め、彼の死後も番組は続いていますが、その内容はかなり変わりました。


 冒頭に引用したキャッチフレーズは、番組で取り上げる音楽がいかにバラエティに富んでいるかを端的に示しています。「浪花節」は「浪曲」とも言って、現在ではほとんど廃れてしまいましたが、かつては「落語」「講談」と並んで高い人気を誇っていました。三味線の伴奏で浪曲師が物語を語る「語り芸」のひとつで、明治から昭和にかけて、広沢虎造などの名人が輩出しました。「浪花節」を日本の大衆芸能の代表と捉えれば、ベートーヴェンは西洋のクラシック音楽家ですから、先のキャッチフレーズは「古今東西を問わず」と読み替え可能です。


 それではなぜ西洋のクラシック音楽家の代表が、バッハやモーツァルトでなくベートーヴェンなのでしょうか。道行く人に「あなたが知っているクラシックの作曲家を、誰か一人あげてください」と問えば、おそらくベートーヴェンが一番になるでしょう。このように超有名という理由が大きいと思いますが、それだけではありません。私が考えるに、ベートーヴェンこそ「我こそは作曲家である」と、強く自覚した最初の作曲家だと思うからです。


 バッハもモーツァルトもそれぞれに素晴らしい音楽を残していますが、バッハは宮廷や教会に雇われて「職人的」に作曲しました。モーツァルトは躊躇いなく筆が進む「天才」で、おそらく自分が作曲家だなどと意識する暇はなかったのではないでしょうか。対してベートーヴェンは、こうでもない、ああでもないと悩み抜いて自己表現を追求し、市民に向けて作曲しました。番組のキャッチフレーズでベートーヴェンが選ばれたのは、彼こそ作曲家の原点だと考えられたからだと思います。


 「題名のない音楽会」の長い歴史の中で、今も語り草になっている名番組があります。それはベートーヴェンの生誕200年にあたる1970年に放送された「ベートーヴェン人生劇場-残侠編」です。これはゲストに小沢昭一(1929~2012)さんを迎えて、オーケストラの演奏するベートーヴェンの音楽に乗せて、ベートーヴェンの人生を浪曲で語る、まさに「ベートーヴェンから浪花節まで」を地で行く企画でした。


大石 泰

(東京藝術大学名誉教授)



 

大石 泰 Yutaka Oishi



1974年、慶應義塾大学経済学部卒業。同年、日本教育テレビ(現テレビ朝日)入社。以後、「題名のない音楽会」「徹子の部屋」などの番組の制作を担当し、2004年3月、テレビ朝日を退社。同年4月、東京藝術大学演奏藝術センター助教授に就任。2016年、同教授。「コンサート制作論」「劇場技術論」等の授業を担当する傍ら、主に奏楽堂を舞台としたさまざまなコンサートの企画・制作にあたる。2019年、東京藝術大学演奏藝術センターを定年退職し、現在同大学名誉教授。


 
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