第6回 川口成彦「1772年、オランダ生まれの “ルートヴィヒ”」

最終更新: 5日前


 各々の作曲家が生きていた時代の歴史的ピアノ、すなわちフォルテピアノの魅惑的な世界に藝大在学中にすっかり引き込まれたことは、私の藝大時代の大切な出来事でした。ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの作品に、彼らが生きていたよりも約200年という長い年月を経た現代のピアノでのみ向き合ってきていた私にとって、フォルテピアノで再び蘇る彼らの音楽はまさに驚きと喜びに満ち溢れたものでした。毎度わくわくしながら小倉貴久子先生のレッスンを受けていたことを今でも覚えています。フォルテピアノと出会って11年経った現在でも古楽器で音楽と向き合うことには驚きや喜びが付き物で、音楽の奥深さを常々感じます。

 フォルテピアノと関わるようになって、古楽器に魅せられた仲間や、楽器修復家の方々、楽器博物館の方々、歴史的鍵盤楽器の第一線の演奏家などなど様々な人間との出会いもこれまでに沢山ありました。ピアノという楽器は最初期のイタリアのクリストフォリから近代のものまで時代ごとに目まぐるしく変化していったので、多様な時代の多様な楽器に一つでも多く触れるということは演奏家としてとても大切な経験です。そのため楽器修復家やコレクター、博物館の方々には感謝しきれないほどお世話になっています。

 藝大の古楽科修士課程を修了してから留学したオランダではヘールフィンク・ミュージアム(Geelvinck Muziek Musea)というフォルテピアノの博物館にこれまで大変お世話になっています。アムステルダム音楽院在学中には、この博物館が毎年開催しているフォルテピアノのコンクールを通じて様々な時代のフォルテピアノを人前で演奏する経験が出来ました。スクエアピアノの面白さに気づかせてくれたのもこの博物館でした。そして彼らはコレクションの一部を収容しているアムステルダム市内の教会をフォルテピアノの練習場所として提供して下さり、そのお陰で音楽院卒業後も引き続きオランダで様々なオリジナル楽器に触れることが出来ています。


アムステルダムの練習場所



 この博物館は最近までズトフェンというアムステルダムから2時間ほどの小さな街にありました。博物館は私がオランダに来たての頃はアムステルダムにあり、その後ズトフェンに移動しました。しかし2019年に街の経済的な事情によりズトフェンの建物を追いやられ、現在新しい場所での再開に向けて動いているところです。


 さてさて、ここまで書きましてやっと!「ベートーヴェン」の話題です。今は閉鎖されたズトフェンのヘールフィンク・ミュージアムを初めて訪れた時に(確か2017年でした)、ピアノの他にやたらとベートーヴェン関連の展示物が目立ち、さらにズトフェンで開催されているベートーヴェン・フェスティバルのチラシも受付に積んであることがとても気になりました。なんでこんなにベートーヴェンに溢れているのだろうか、と思って博物館の方に聞いてみたところ、「この街はベートーヴェンの真の生誕地なんだよ。彼は1770年にボンで生まれたことになっているけれど、本当は1772年にズトフェンで生まれたんだ」と口にしたのは衝撃の内容でした…。そして、ついにやってきたベートーヴェン生誕250周年。お世話になっている博物館の方から「ベートーヴェンが1772年にズトフェンで生まれたことに関するドキュメンタリー番組 “Looking for Ludwig” を制作しました。インターナショナル版もやっと完成したのですが、日本で取り上げてもらう機会やツテはないでしょうか。」というご相談を受けました。



 ベートーヴェンには彼と同じ「ルートヴィヒ」という名前の赤子のまま亡くなった兄がいて、その兄の1770年のボンの教会の洗礼証明書を同名のベートーヴェンが引き継ぎ、「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは1770年にボンで誕生」ということになった。そしてベートーヴェン本人は、実は両親が1772年に滞在していたズトフェンで生まれた。



 この話をご相談と共に改めて聞いて、私はもしかしてもしかすると本当にそうだったりして(汗)、とこの「伝説」に再びドキドキしました。ベートーヴェンの生誕地がドイツのボンでなく、オランダのズトフェンになったとしたら、ドイツ人はきっと大騒ぎなのではないだろうかと想像します。けれど日本人である私にとってはベートーヴェンが1772年にオランダで生まれたということはものすごく面白い話なので、“Looking for Ludwig” を放送して下さるテレビ局が現れないだろうか、と少し期待しながらこの寄稿文の話題にさせて頂きました。生誕地も興味深いですが、「生誕年1772年」という内容はもしかしたら生誕地以上にショッキングかもしれませんね。コロナで盛り上がることの出来なかった「ベートーヴェンイヤー(生誕250周年)」ですが、2022年に気持ちを新たにやり直せる可能性は無きにしもあらずです。


※“Looking for Ludwig”の日本国内放送に結びつけそうな方、あるいはこのベートーヴェン生誕地/年の説を何かで取り上げて下さる方がいましたら、ご連絡お待ちしております。

narufortepiano@gmail.com (川口成彦)




川口成彦

(ピアノ・フォルテピアノ奏者)



川口 成彦 Naruhiko Kawaguchi


第 1 回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭、「ショパンと彼のヨーロッパ」音楽祭をはじめ欧州の音楽祭にも出演を重ねる。協奏曲では18世紀オーケストラ、{oh!} Orkiestra Historycznaなどと共演2018年にはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のメンバーと共に室内楽形式によるピアノ協奏曲のリサイタルをオランダにて開催。東京藝術大学/アムステルダム音楽院の古楽科修士課程修了。第46回日本ショパン協会賞受賞。CDは自主レーベルMUSISからリリースした「ゴヤの生きたスペインより」(レコード芸術/朝日新聞特選盤)など。 公式HP:https://naru-fortepiano.jimdofree.com/



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