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第1回 河野文昭「浄瑠璃寺」

更新日:2020年9月16日





 新型コロナウィルス感染防止が叫ばれ、東京と自宅のある京都との往復もはばかられたこの8月、京都に帰る新幹線の中の車内誌を読んでいると、奈良に近い京都の古刹「浄瑠璃寺」の特集が目にとまった。このお寺、過去に数回訪れたことがある。


 1度目は高校生の時で、きっかけは国語の授業に出てきた谷崎潤一郎の「陰影礼賛」だったと思う。今回気になってそれを読み返してみたがどこにも浄瑠璃寺の名は出てこない。おそらく国語の先生が本の内容とお寺の特別な雰囲気を結び付けて面白く話されたのであろう。そのお話に影響を受け、ぜひ行ってみようと友人と共に出かけたのである。静かなたたずまいの印象は残っているが、公共交通機関で行くにはあまりにも不便な場所にあるため、神戸からの往復に疲れてしまった記憶の方が大きい。


  2度目は大学卒業後、お寺巡りの好きな叔母を連れて自家用車で初詣に行った。さすがに正月は参拝者が多く、静かな雰囲気を味わうという訳にはいかず、短い時間の滞在でそそくさと帰ってきてしまった。


 さてその後の3度目は、しばらくぶりの2009年の10月。室内楽を演奏するイヴェントに参加するため、岡山潔弦楽四重奏団のメンバーとしての訪問だった。秋も深まり紅葉の色も落ち着きを見せ、心地よい澄んだ空気と静寂、普段の都会生活とは全く違う異質の空間の中で、どのようにカルテットの音が響くのか、そんな期待を込めてリハーサルを始めることになった。


 この浄瑠璃寺、境内の中央に大きな宝池(ほうち)があり、それを挟むように東側には薬師如来を祀る三重塔、西側には九体阿弥陀如来を祀る本堂が立っている。池を挟んで東方浄瑠璃浄土と西方極楽浄土が配置されているということである。


 夜の本番は本堂の中、九体ある阿弥陀如来像の中央に鎮座する、ひときわ大きな「中尊」の前で演奏する予定だった。ところがふと何かがひらめいた岡山潔先生の提案で、リハーサルは一度本堂の縁側から外へ向けて、つまり極楽浄土に向けて音を出してみようということになった。屋外で音を出すということは、ふつう残響はゼロ。4つの楽器の音も四方に散らばって行ってしまい、箱の中の閉ざされた空間での演奏を常とする西洋音楽の、特に編成の小さな室内楽としては全く不向きな環境である。でもまあやってみようということになり、同行していた私の家内(ピアニスト)が、対岸の三重塔の前に行って様子を聴くことになった。さて宝池を挟んだ本堂と三重塔の距離は5,60メートル程あっただろうか。演奏したのはハイドンの第1番とモーツァルトのKv.458。どちらも変ロ長調で「狩」のニックネームが付く。狩りのホルンを思わせる音型が特徴なのだが、4つの弦楽器ではどんなに頑張っても、音は遠くには飛んでいくまいと思っていた。ところが聴いていた家内が不思議な体験をしたと、興奮して池の向こうから走ってきたのである。彼女曰く、四重奏の響きの塊が池の上をすべるようにして渡ってきたと。ホールで聴くような響きを纏った音ではなかったが、それぞれの音もよくわかりカルテットのまとまりもよく聞こえたというのである。おそらくこのことを物理的に説明できる人はどこかにいるかもしれない。だが非日常の空気に満たされているこのお寺では、何が起きても不思議ではないという気にさせられてしまう。現世に居ながらにして、自在に音が行き交う極楽での有様が聴こえてきたのだろうか?はたまた西洋の音楽が、洋の東西を橋渡ししたかのように東の塔に向かって飛んできたのだろうか?実に不思議な経験であった。


 さてそのようなことがあった後、堂内で行った本番ではプログラムのメインとしてベートーヴェンの弦楽四重奏曲イ短調Op.132の第3楽章を演奏した。この後期の名曲には作曲者による副題があり「神に捧げるリディア調の聖なる感謝の歌」と書かれている。重い病が癒えたベートーヴェンの深い感謝と歓びの感情が溢れ出る音楽である。実はこの第3楽章、5つある楽章のシンメトリーの中心にあるばかりでなく、ロシアのガリツィン侯爵の依頼で書かれた3曲の弦楽四重奏曲(作曲順にOp.127、Op.132、Op.130 )の中心に位置しており、この連作の中核をもなす音楽なのである。おそらくこのお堂に初めて響いたと思われるベートーヴェン。演奏しながら九体の阿弥陀様たちの、中でも最も温かな眼差しを持つ「中尊」のお顔を見上げると、ベートーヴェンの心からの感謝と喜びの声を優しく受け止めてくださっているように思われた。


 都会から離れた、清々とした空気に満たされた仄暗い伽藍に、西洋音楽史の高みの一つである音楽が何の違和感もなく流れたその夜は、演奏する我々も集まって聞き入る聴衆も、真はだかになったベートーヴェンの精神に静かに寄り添うことが出来たに違いない。浄瑠璃寺でのコンサートにふさわしいプログラムを考案し、浄土に向けて音を出してみるというような、岡山先生の様々なアイデアには今でも驚嘆するばかりである。一昨年に亡くなられた先生は、すでに天国でベートーヴェンにこのような体験を報告されたであろうか?あるいは極楽浄土で阿弥陀様たちに再会を果たされたであろうか? 


                                   河野 文昭

                (東京藝術大学音楽学部教授・演奏藝術センター長)





 

河野 文昭 Fumiaki Kono


京都市立芸術大学卒業。文化庁派遣芸術家在外研修員としてロスアンジェルスに留学後、ウィーン国立音楽大学に学ぶ。1981年日本音楽コンクール第1位。大阪府文化祭賞、京都府文化賞功労賞受賞、京都市文化功労者。東京藝術大学音楽学部 教授・演奏藝術センター長。


 


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